世の中立派な人ばかりじゃあなくって るっぱな人達とか色々大勢いるっての/帰路の車窓と行き着けの店であったこと、えんやあそうりゃん ぶっ放すぜ

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君はロッカールームのポロロッカさとか言われるいじめってあるって知ってるよな いじめられて惨めになって、それを忘れたくってドラッグやってらりってる奴を街中で見かけて、そいつからいきなり話しかけられたっけ その時俺は言った、君は立派じゃないけど<らりっぱ>だよって 脱法ハーブが出回って末法把握して、沖縄でも米兵がそんなもん欲しさに少年を痛めつけて財布ひったくって社会問題化して、でもそんなこった東京でだってらりってる奴の間じゃあったって、問題が沖縄で米兵の間で起きたから社会問題化するんであって、東京じゃらりっぱな奴ばっかじゃなくって、成人の女に関心が全くない幼児にしか関心のない<ろりっぱ>な奴だってうようよと居るんであって、その都度君は立派じゃないけど<らりっぱ>だよとか、君は立派じゃないけど<ろりっぱ>だよとか、一々誰かと会う度にそう称讃か何だか知んないけんど、そうやって自分ではない他人には立派にクラス分けして色眼鏡で見るって訳さ
確かに立派な人間ばっかじゃなくって都会にゃあ<らりっぱ>な人間、<ろりっぱ>な人間なんかもうじゃうじゃ居るんであって、それは誰かの目から見れば屑でも、何時か俺達だってゲイや性同一性障害者みたく市民権を得られるんじゃないかって幻想しても居るのかも知んない 都会じゃあサブカル儲かる幻想預かるメディアの露出で小忙しいメディアの報道に皆こぞってらりって、ドラッグや脱法ハーブなんてなくたってらりってる脳ミソの奴等はごまんと居るぜって君は言いたいんだろうって分かるさ 
だから君は世の中にゃあ立派じゃあなくったって<るっぱ>な奴等はごまんと居て、と言って<れっぱ>とまでは言えない<れっぱ>よりは少しましな<るっぱ>な奴等あうじゃうじゃ居るんだぜって言いたいんだろう <らりっぱ>や<ろりっぱ>な奴も居るんなら、<らるっぱ>な奴も<られっぱ>な奴も、<ろるっぱ>な奴も<ろれっぱ>な奴も居るんだろうって君だって思うだろう?
いじめって奴はしかし会社内だけじゃあねえんだよなってこれが、琳派専門の美術史家がルンバを踊りゃあ、現代アート専門の評論家がツンバって叫ぶ 何の世界だって変梃りんな棲み分けなんかしやがって全く族議員って言葉も懐かしいけんど、そんな様なもんなんだよな 要するにそういう棲み分けがうろつく奴へのいじめを齎すんだぜっての

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日曜日の夕方上りの横須賀線でスリに遭ってスッカラカンになってすかすかのポケットに涙の塗れたハンカチ突っ込み、受け続けてきたブログ更新記事で久し振りにスカやったみたいにしょぼくれて西大井で降りて久し振りに武蔵小山から戸越迄歩き、途中で銭湯を見つけて入って真っ裸になっても財布なんて何処にもないって気づいて更にしょげて、拾ったリップスティック使って銭湯のトイレでさっき女湯に入って行こうとしていたいかす姐ちゃんを思い出しエレクトしたペニスに塗ったくって姐ちゃんにイラマチオさせてる雰囲気出して、女が男のを二本突っ刺しているのっけからあっけけらかんとした配信映像も想像して左手で扱いてスッカラカンになる迄ザーメンをこんもりと右掌に抜いて出してから服を着込んで銭湯を出て、久し振りに酒屋で壜で買ったビールをラッパ飲みして再び街に繰り出して、いい女見っけようって物色して歩くも、肩透かし食らわされるすかした女しか見かけずに、そうだゲイバーにでも行くのもたまには悪かねえだろうって繰り出せば、ネパールのルンビニのコンビニで働いてたっちゅうマデシの出稼ぎオカマに乗って来られて、反っ歯の彼がネパールの裏事情をすっぱ抜いて、サーランギとマーダルの音色に合わせて見よう見真似でオカマが踊り出したのと一緒に踊り出せば、人生のいんちきはったりを笑って踊って忘れようって魂胆が見え見えだけんども、それでもいいやって更に踊って憂さを晴らしゃあ、さっき迄の酔いも何処とやら、じゃあそろそろ今日も内に帰ってもう寝ようって、今日はよく眠れるかも知んないって言ったって、ひょっとすりゃあ、もうそのまんま眠り続け二度と起きられないかも知んないって考えた日にゃあ気持ちよく過ごせねえぜってのって考えながら半分しっかりと半分ふらつきながらその日は内に帰って眠っちまったって訳さ

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わさわさした時代 わさわさした気持ち

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何が起きるか分からない そんな時代に生きている
何時だって時代は先へ先へと行こうとする

人々全ての動きが時代を作る 時代が新たに作られる度に、既に時代となっていたものが古びて過去になる

一々時代に追いつこうとしなくたっていい だって君が生きているそのペースが時代を作るんで 時代が君のペースを作るんじゃない

周りばかり見回すと、時代は何時だって忙しない わさわさしているさ
それはその動きが気になればなる程わさわさしてくる それだけに見えてくる

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君自身が君の思う通りに動け それが時代になる
君が僕が、そして全ての人達それぞれが時代を作る

何をするにしたってぶっきらぼうにあてずっぽうに水鉄砲を浴びせかける様なもんなんだ
てっきりあっさり受け取られるかと思いきや 深く受け止められたり 真摯に受け止められるかと思いきや すっかり訝しがられたり どんなメッセージ送信もどう受け取られるか分かったもんじゃない

そんな風に周囲が世界がわさわさわさわさしているんなら、いっそとびっきりその都度のアドリブで全てのメッセージを送信していけばいい

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時代は外側から読み取るんじゃなく、自分でしている行為からしか生まれない

行為は通常何かの為に誰かの為にすることだけど、何の為でなくてもいい それによって誰かが傷つくのでなければ

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傷つく時は人は全く何も傷つけない行為からも傷つく
だけど何も傷つかない様にしてだけ生きていくのってつまらない
誰かを傷つけたくはないけれど、自分で傷つかない様にだけして生きていくのってつまらない

傷ついて立ち直らないのは厭だけど、何も傷つかぬ様にして生きていたくなんてない そんなの人生じゃない

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何かしようと思った時は何時だってわさわさした気持ちで居る
そんな気持ちの、例えば僕の中の気持ちの歴史から時代が立ち上がる きっと君にだってある筈さ
 
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自分ゲームという人生、人生というゲーム、ゲームという自分、本当の嘘、嘘の本当

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自分がゲームだ 自分が自分がゲームの只中に居る事を知っている
ゲーム自体が自分で、他者はその中の登場人物だ

本当の自分も嘘の自分も本当の自分だ 自分の本当さは嘘の自分が作っている 嘘の自分が居なくなれば本当の自分も居なくなる

だから本当の自分も嘘の自分も嘘だ 嘘という本当だ 嘘というゲームだ ゲームという本当だ

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愛というゲーム 誠実というゲーム 勇気というゲーム 休息というゲーム
ゲームに居る自分を見つめるもう一つのゲーム

貴方が今私から見える 貴方も私が見えているだろう 否見えてはいないのかも知れない 私が見る貴方も私の幻影かも知れない

でもそれは幻影という形の本当だ 幻影である形の本当はゲームではない

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人生はゲームという名の本当だ 本当の嘘だ 嘘は他者存在への自分内部での理解が作る

嘘はつき続けると疲れる 一時その疲れを癒したくて人間はエロスを必要とする 集団内同化得意人間は似た集団内同化得意人間と出会い、アウトローはアウトローと出会う どういうわけか人間の出会いはそういう風になっている

出会いはゲームだ ゲームの様な幻想を与える本当だ

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幻想も幻影もゲームも嘘という本当だ 本当の嘘、嘘という本当を生きるのは人生という作り物だ それは作り物でありながら自然だ 自然でありなら必然だ 必然を自然の中に作り出す人間 人間という本当を嘘の様にゲームにする我々

嘘めいた本当を生きるゲームである人生の所有者である我々に必要なのは、愛だ 存在への愛だ その信念だけがゲームでも嘘でもない

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一瞬に輝いて消え行く君達よ、平和ボケした僕達を尻目に君達は美しい

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花の命は短い 短いが故に美しい 君達花が一瞬咲き乱れ程なく散っていく姿に先立っていった者達の魂を僕達の先達は重ね合わせてきた

一瞬最高に輝くから美しい 
永遠なんて僕達の生にはない
もし存在が永遠に持続するなら、存在自体は一瞬の輝きという意味では凡庸で退屈で美しくない 美しくないものだけがずっと存在し続ける

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一瞬咲き乱れるが故に美しいから一瞬で散って行く姿も美しい 否一瞬で散って行く事を知っていればこそ我々はその今見られる最高の輝きに魅せられる

それは毎年ある時期になればやってくる感動だと知っているからだ
でもそれも永遠ではないかも知れない そう思えもするし、そう考える事も出来る そしてだからこそ益々一瞬の輝きに僕達は価値を見る

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何処かの国のミサイルも一瞬の輝きを求めた結果だろう それを正確に伝えなかったこの国のトップの平和ボケを見ていると、君達花の一瞬の輝きと毎年巡ってくれるその様に感謝したくなる

散りきってしまっても、その残骸さえ一瞬は最高に美しい 
我々は一瞬の美を求めて生きている それは永遠を想念する者でさえそうだ 想念する時間が如何にその者にとって長くても、それはやはり一瞬だ 美は瞬間にこそ宿る 永遠は一瞬の美によって意味づけられる

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芋虫も蝶々も蚯蚓も永遠という相に於いて一瞬を生きる 永遠は想念で、地球も宇宙も永遠ではない 永遠ではないと知っているから我々は永遠に存在の価値を見て、一瞬に出会いの価値を見る

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君達は匂い立つ その芳香が僕達に一瞬の想念の中の閃きを齎す その閃きの根拠なんて僕達にも分からない 分からないからこそ閃きであり、想念の中の一瞬の出会いの美なのだ

時間は止められない だからこそ時間を止める様な閃きの中の存在の永遠を僕達は求める

サクラ、サクラ、咲くらん、錯乱する視界の中の一瞬の夢魔の輝き 鈍くどんよりした気配の中から匂い立つ鼻腔を刺激する君達の開花と一瞬の最盛の後の散り具合に、僕達は永遠の中でのかけがえのない出会いを見出す

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散る散る散る散るつるつるつるつるした芳香を放つ君達の亡骸を拾い集めるだけが僕達に出来る事だ

ぽろぽろぽろぽろぽろぽろぽろぽろ流れる涙 君達も一瞬の情動に乗っている 悲しみも喜びも全て最盛は一瞬だ やがて全ては鎮まって行く 美が儚ければ儚い程僕達は涙に咽ぶ 僕達は涙の意味を知っている

涙は桜が誘う ユキヤナギがサクラになって僕達の涙を引き立ててくれる でも何時迄も泣いている訳にはいかない 流れている涙を止めてくるのは椿かも知れない 桃も誘いも止めもせずにそこに居てくれる

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我々は気づくべきなのかも知れない 何時迄も平和がただで手に出来るって事が幻想だって事を 凄絶な闘争の末に君達は咲き誇っている
それは見ていてもよく分かる そしてだからこそ美しいと我々は君達を見ている そうだと理屈で分かっていなくても薄々と皆知っている

だけどその凄絶さを忘れさせる存在の儚さ故の美の前で闘争の部分を見ない様にしているだけだ 君達は僕達の様には生まれなければ死にもしない にも関わらず若くして死に逝く者を君達に準える 君達は何て自分勝手に世界を美的に見たいんだろうと思うかも知れない

それでも僕達はそういう見方を止められないんだよ それだけは僕達を許してくれ給え

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夢幻の境地は待っていても来ない 唯それは突然心の中に沸き起こる

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心の中に突然見えてくる絵がある それは美しいとか印象的だというのではない もっと何か得体が知れぬ心のざわめきに近い

何処かで後ろめたい想像も含まれる 後ろ暗い過去がなくても

芳しい梅の芽吹き、花の匂い 其処に集まる全ては蝶々も人も空気も何かに魅せられている 夢を春の日溜りに求めている

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死とは静かでさえあれば怖くない そうあって欲しいと梅の花が訴えている 全ての困難な問題をそこはかとない花の匂いが消し去ってくれる 困難な問題は何時もその困難さで花の匂いを忘れさせようと画策する花に魅せられた者の仕業かも知れない

空気は考えている 空気は生きている 太陽の光の中で空気は踊っている 揺らめいている その揺らめきが人の心を沸き立たせ惑わせもする でも梅香の中を歩いていると、何処かで心が心地よい惑いを歓迎している たまには迷って立ち止まってもいい それを唯その時迄しなさ過ぎたと梅香が教えてくれる

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川がせせらぎが歌っている 日の光が水面にきらきら照り返している 子供が川遊びしている 石を投げ込んでいる そんな時に何処かで死は訪れている それを無視して日の光は川のせせらぎに照り返す

運を試そう この川の流れの様に身を任せ何も考えずに生きてみよう そう思う それはなかなかそう出来ないから思う価値がある でも気が付いてみたら 出来なくもない自分を見つけている

すんなりと教えてくれる道がある それは迷うことなく唯突き進んで行けばいい だから何度も何度も岐路に立たされる でもそれは迷いを創る為ではない 見過ごす分かれ道、二俣に別れていても、いずれに直進するか迷うことはない 川が流れて行く様に

てかてか川の水を浴びて光る石 空気が時々ざわめき 心を迸らせる

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何処にいるんだい?生きるということの真実は?今見えているのかい?
見まいとしているなら君には見えない 見たいとせっつくことさえなければ見えてくる何かがある 君にも僕にも

今見えている様に思える何かは待っていて見えているんではない
今ちらちら目の前を通り過ぎて行く空気と日の光は待ち構えていなかったからこそ心に訪れる それを教えてくれる日差しとそれを受け止める心

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心から見えてくる道を突き進もう
 
道は心が行く先を示して僕達を進ませてくれる

道は進む為に用意されているわけではない 見えてきた時だけ歩めばいい それを教えてくれる一瞬の光の輝きと甘酸っぱい匂いを含んだ空気を吸い込んでご覧

道が一瞬で煌いて見えるよ


見えた道だけ歩めばいいんだよ


プロフィール

カワグチミカル

Author:カワグチミカル
 生きていく事は生きている自分の外部の世界の中からその都度自分で必要な何かだけを選び取り、後は潔く全て捨てていく事だ。所詮生きていく事自体にアウトロー性があるという事を覚醒していくという要素がある。
 その時詩を書く行為がウェブサイト上での行為であるが故に、世界への批評となり、世界への批評をする自分を分析する哲学も必要になる。ここに詩と世界への批評と哲学が同一線上に並ぶ。
 その同一線上の地平の発見こそがこのブログの目的である。

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