川は見ている。
雲の動きの全て、空の明るさ、暗さの全てを。
川は土地と土地をつなぐ。
川面は全てを映し、水は全てを記憶し、流れる。
水は全てを運びもする。
川は嘘をつかない。
川の流れに形而上性は要らない。
形而下だけであることhが、全形而上性を支える。
川の日光の照り返しが花の満開を促す。
川は全てを見ながら、全てに見られる。
小川が煙(けぶ)り、川の視界が曇る。
川面は騒めき流れる水を淡く反射する。
新緑が水を求め、雨を吸う森に冷気が籠る。
森の道は小雨の水に濡れ切らず、深い底の水は雨水を加えず、小雨を大気へ散らす。
馬頭観音がひっそりと佇んでいる。草が所々に生えている。いきなり視界が開け、羊歯が日光を吸い黄色く変色している。
山奥から緑の羊歯が声をかけ、仄かに山の斜面の羊歯にそれが届く。
川の流れる音、虫が木々を巡る音、時折森の道を行く人々の声を森は聞き届け、山が吸い込む。
森はあらゆる自然の音を吸い込み、記憶する。
山はそれを地中深く迄記憶する。
足を地に付け、歩むと足が意識を運ぶ。意識の向かう先そのものとなる足の動き。
歩み意識は空へ飛んで行きもすれば、つるつるとした川面を只管滑り移りもする。
かと思えば森へ直撃し、山へ突進する。
煩い心の中のもやもや達よ、散り去って行け!
不必要な頭の拘り達よ、すっ飛んで行け!
11万光年先の地球に似た一番近い星に、それが届く頃には一滴の水滴になっているのかも。
足の動きとなっている意識は時として意識毎四方へ散逸し、あたかも上方から地に足を付け歩む自らを俯瞰する如く、地を遥か下方に臨み、空を縦横無尽に飛び回る。
一所(ひとところ)に腰を落ち着けることに意味はない。何かに属し策を練っていたって仕方ない。
川が見ている全ての様に、森が聞いている全ての様に、自らが川となり流れ、自らが森になり、木々の木霊を身体の底へ沈殿させ、其処此処に自らの息を聞きつけ、到る所に自らの息を散らし続けよ。
自は他の全てとなり、他の全てが自として舞い降りる。
自分は川であり、森であり、その目であり、耳であり、動きであり、声である。(2016.5.6,8,11,16)